バンガーの真北、メイン州北東部ペノブスコット川に「岩多き地」として知られる場所があります。狩猟・収穫インディアンである、ペノブスコット族の名前はここから取っています。急流と滝ならびにこの地の容赦ない漂礫に囲まれ、そのあいだを縫って、あらゆる時代が過ぎ去ってきた深い川の流れがあります。水は引いては返し岸を打ち奔流となり、大西洋に向かう。岩にはいにしえの記憶が刻まれ、川は人々の生命線であり続ける。こうして、旅は始まる。深い流れは、この「岩多き地」の森に囲まれた小さな町、オールドタウンの岸辺へとあなたを誘います。町は19世紀初頭に遡る赤煉瓦作りの建物と白いクラップボード(下見板)の家々に彩られた古風なたたずまいを呈しています。丘の上には、大きくて印象的な煉瓦作りの建物がそびえており、厚いオーク材のドアの上方には「お帰りなさい。Old
Town Canoe Co.」と標された看板がかかっています。ある意味で、ここは神聖な場所でもあります。というのも、何百年もの間、ペノブスコット族はまさにこの場所で自分たちのカヌーを作っていました。インディアンの神が特別なやり方でこの場所に指先で触れるや、樺の皮製カヌー作りにペノブスコット族が必要としたすべてを揃えてくれたような気持ちに襲われます。オールドタウンがこの地にあることには意味があり、ここはカヌーそのものといえます。ペノブスコット族のカヌーに刺激された、地元の起業家ジョージ・グレイは1898年自らが営んでいた金物屋の裏で、最初のウッド&キャンバス製カヌーを作るべく、地元のカヌービルダーである、A.E.ウイケットを雇いました。細部へのこだわりと品質への情熱で作り上げられた、グレイとウイケットのカヌーは、進歩を遂げ、人気も上々でした。初期の時代の記録はあまり残っていませんが、これは新しいベンチャーに向けての劇的な幕開けといえます。しばらくの間「インディアン・オールドタウン・カヌー・カンパニー」ならびに・「ロバートソン・オールドタウン・カヌー・カンパニー」という名称を経て、1903年に「・オールドタウン・カヌー・カンパニー(OLD
TOWN CANOE CO.)」
として法人化します。1906年には、ウッド&キャンバス製カヌーせいぞうにと要する時間を作業量を考えれば、脅威と言うべき、月産200〜400艇おW作っていた。という記録が残っています。会社は、ペノブスコット川に隣接する、それまで靴工場だった場所を買収し、増築しました。オールドタウン・カヌー社の廊下を歩いていると、時折、時間の概念がなくなってしまうことがあります。また、時として迷子になってしまうほど、ここは迷路となっています。部屋に次ぐ部屋。オールドタウンのクラッシクなウッド・カヌーから、新しい「ルーン」カヤックまで。ウッドの作業場を覗くと、そこには何人かのクラフトマンが、1910年製の13フィートの赤いキャンバス・カヌーの修理を行っていたりします、またメインフロアーでは、二人の職人がアメリカで最も売れているカヌーである「ディスカバリー」の製造に、特注マシーンを操作しています。その上の3階では、当社の「カタディン」カヌー製造のために、ファイバーグラスのシートを手でカットしています。更に上に行くと職人がオルトナー/ロイヤレックス・キャンパーのモールディングに余念がありません。ここには、まさしく、紛れもない職人魂が今も生き続けています。また、別の記憶を辿ると、壁は鋲ハンマーやウッド&キャンバス・カヌーの出荷準備をする作業員が出す音や声に共鳴します。事務所の裏部屋には、20万を越える製造記録が、セダー(カナダ杉)の箱にきちんと整理されていて、1903年にまで遡る各々のカードには、出荷先の名前と住所が記載され、ちょっとしたストーリーも入っています。オールドタウンには今もインディアンのカヌーイング魂が息づいています。ペネブスコット川の深い流れのようにでもわれわれの言葉だけですべてを信用しないでください。ここ、メイン州の人々は話だけではたいした価値はないといってます。ですから、是非自身で実際に確かめてください。これこそが、オールドタウンとは何ものかが分かる唯一の方法といえるでしょう。ペネブスコト川とわれわれが共有する遺産。日々生活の中でいき続ける伝統、オールドタウンをオールドタウンたらしめている理由。オールドタウン・カヌー・カヤックに乗るたびに感じ、、かつあなたの子や孫と分かち合っていただきたいと願っているのは、まさしくこのカヌーイングスピリッツです。
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